【史上最強の哲学入門】#10

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各時代を生きた哲学者の論をそれぞれ哲学の内容ごとに解説した1冊。最強を目指して論を唱え続けた哲学者の物語を、最強の称号を手に入れるため闘技場での争いとして見立てるいうユニークな展開の本。哲学を初めて学ぶ人でも非常にわかりやすい構成。

  • 格闘家=「強さ」に一生を欠けた人間たち
  • 哲学者=「強い論(誰もが正しいと認めざるを得ない論)」の追求に全てを費やした人たち

と定義している。

哲学に詳しくない人でも、この本は構成や文章の書き方からスーッと読むことができます。一見「哲学」は難しい印象ですが、それを極限までわかりやすくしたのがこの本です!

間違いなく「哲学」の解説本の中では一番わかりやすい本になっています。

 

 

 

Contents

読む目的

  • 哲学について学ぶ
  • 哲学を知り、自分はどんな思想や人物に近いのか考える
  • 哲学を自分の生活にも活かしたい

 

印象に残った哲学者

この本では30人ほどの歴代哲学者が紹介されていますが、中でも私の独断と偏見で印象に残った数人を紹介します。異なる時代を生きた哲学者による思考の違いや、反対に時代が変わっても同じような思想であったり。

様々な哲学者の思想を学びましょう!

プロタゴラス(紀元前485年ごろ~紀元前410年ごろ・ギリシア)

→「絶対的真理」を否定。「人それぞれ」という考え方相対主義。大昔、身の回りのわからないことはすべて、「神話」による説明で済まされてきた。暮らしの範囲が広がり、生活範囲が広がると驚くことに気がつく

→国によって神話の内容が違う。徐々に神話への確信が崩壊。『人間は万物の尺度である』=自分の尺度(価値観)を人に押し付けているだけ。相対的な思考をもてば、「ひどい主張を素晴らしい主張に。素晴らしい主張をひどい主張」に見せかけることもできる

ソクラテス(紀元前469年~紀元前399年・ギリシア)

相対主義には落とし穴もある。「人それぞれ」という主張は時に正しさを求める必要がある時に弊害になる。ソクラテスはそんな真理の追求しない世の中を許せなかった。「本当の正しいこと」を追求し続けた先に、「真理」とは無知の自覚から情熱を呼び起こされると考えた。あの有名な言葉、「無知の知」が生まれた。これは、「まず自分が何も知らないところから始めよう」という意味。

デカルト(1596年~1650年・フランス)

→その真理をさらに追求したのが、デカルトである。時代は中世へと差し掛かり、「信仰」から「理性」が重視される時代に突入した。理性を使って真理を追求。デカルトは絶対に正しい、「誰もが正しいと認めざるをえない確実なこと」を第一原理として設定した。これが元になり、あの有名な「我思う、故に我あり」という言葉が生まれた

サントル(1905年~1980年・フランス)

→「自由とは、何が正しいのわからないのに『好きにしろ』と放り出されてしまった不安定な状態のことである」。現実には神様が生きる目的や進むべき道を示してくれることはなく、「何をすべきか」を自分自身で決断しなければならない。そしてその決断は「自由」である。サルトルはその状態を、「人間は自由の刑」を課せられていると表現し、それであるならばもっと大きな舞台に参入しようと伝えている

レヴィナス(1906年~1995年・リトアニア)

「他者論」と唱えたユダヤ人。絶対に確実と言えるものは「他者」と「私」の存在で、「他者」とは「私がどんな真理を持ち出して正しいと叫んでも、それを否定する他者が必ず存在すること」。真理の追求とは、「他者」に対して「ホントウ」はどうなんだろう、と問いかけることなのではないか、真理を求める熱い想いが「私」と「他者」を成り立たせていると述べている

ルソー(1712年~1778年・スイス)

人民主権を唱え、人間は本来、国家がなくても互いに助け合って生きていける存在と述べている。民衆は国家がなくても生きていけるが、国家は民衆がなくては生きていけないという点から、王に反逆する革命の意思もあった。「真の権力者は王ではなく、民衆である」という主張が人民主権である。

マルクス(1818年~1883年・ドイツ)

「資本主義」が成功し、お金持ちが資金を出して個人が稼ぐシステムが世間に流行し出した頃、これを「いずれ破綻する」と説いた。資本主義では資本家が労働者を雇用し、生み出した労働の対価として給料を支払う。これだと実際に労働者が生み出した利益がそのまま入ることはなく、実際は一部しか入らない。資本家が搾取する構図になっていると指摘するのだ。資本家が儲けたいという欲望を打ち出しても、経済が悪化しても真っ先に影響を受けるのは労働者なのだ。

そこでマルクスが打ち出したのが「共産主義」。簡単にいうと、「みんなで財産を共有しよう」という思想だ。国家が財産を管理し、私的財産をなくす。しかしこれも競争性のなさや管理の難しさが課題であった。ソ連の崩壊がそれである。

ニーチェ(1844年~1900年・ドイツ)

「神の死」について語る。有名な言葉で「神への信仰(弱者の恨みが生み出した歪んだ負の感情)が、人間本来の生を押し殺してしまっている」という主張がある。これは当時、神を信仰している西洋人からは信じられない主張だった。しかしこの主張は本来の自然な価値観に基づいており、「強さは素晴らしい」という想いからきている。本来はこの価値観があったはずなのに、いつの間にか「弱さも素晴らしい。力はないけど、優しいよ」という価値観に変わり、弱者であることを恥じることなく「善い人間」と捉えるようになったのだ。

本当は金も権力もみんな欲しいはずなのに、それを目指すと公言すると嫌な顔をする。それはほとんどの人がそれを得ることができないから。そしてこれも「イソップ童話」の「取れないぶどうをすっぱいと言ったキツネ」と同じなのだ。キツネは、本当はブドウが欲しくてたまらなかった。実際にぶどうが食べられるとしたら間違いなく食べた。しかし、ブドウは食べられない高さのところにあったため、彼は自分の都合で、ブドウの「価値」を落しめる。こうして必死に得ることを恥ずかしいと表現して無理やり自分を慰める。自分の限界に挑戦するチャンスが目の前にあったのに、失敗が怖くて、自信がなくて、本心から目を背けてしまう。

ニーチェはそんなもの自然本来の生ではない、戦っても勝ち取るべきものがある、勝ち取るために壁を乗り越える努力をしようと言っている。無欲で謙虚な人間を強制する教育や思考など、すべて弱者のルサチマン(恨み)に過ぎないと主張する。

そして神が死んだ後の世界をどう生きれば良いかについて哲学をした。「超人思想」…強くなりたいという人間が本来持っている「力への意志」。この本能の赴くまま強くなることを目指す人を超人と呼んだ。神にも国家にも左右されずに「自分」を持って生きていくには、「強くなりたいという意思を自覚し、そこから目を背けない」こと。これができる人間、超人だけが神が死んだ世界でも生き残れる。

 

気づき・学び

  • それぞれの主張・思想・論に共感できる部分がある
  • 特に「超人思想」がしっくりきた
  • 哲学者はみんなそれぞれがポジティブな思考を備えている
    →より良い世界を望んでいる

 

ネクストアクション

  • 自分という人間がどんな価値を提供できるのかを考える
  • 考えられたことをもとに、すぐにそれを実践してみる
    →体験や経験が大きい影響を与えている。コーチング体験やフィットネス体験で得たものを、他の人にも提供する。
  • 悩んだことはまず、とことんまで自分で考えてみる

 

 

 

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