NHKの有名番組、『プロフェッショナル仕事の流儀』に
卓球日本代表の 石川佳純 選手が出演した。
今回、1000日の記録。NHKは2017年から密着取材を敢行した。
『プロフェッショナル』から見えた石川の生きを紹介する。
(写真:Getty Images)
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東京オリンピック・日本代表選考までの道のり
日本代表選考。晴れやかなオリンピックの舞台の裏に、自国同士の選手が命がけで限られた椅子を奪い合う。最も過酷でタフな戦いかもしれない。
代表の座はポイント制で決定し、ポイントにはオリンピックまでの各大会の結果が反映されていく。2019年春時点で、石川は年下の伊藤美誠、平野美宇に次いで3位。日本代表は全部で3人が選ばれ、シングルスに出場できるのはうち2人まで。
このまま順位が変動しなければ、石川はシングルスに出場できない。
石川といえば、過去、
2012年ロンドン五輪でシングルス4位、団体で銀メダルを獲得する大活躍を見せた。当時19歳。
一気に皆に期待され、シングルスでのメダル獲得を期待されて挑んだ次大会の2016年リオ五輪。ここではクセのある相手を前に、シングルスでまさかの初戦敗退。この時の敗因を石川は「守りに入ってしまった」と分析している。
順当に日本代表エースの地位まで上り詰めた彼女の卓球人生はここから徐々に歯車が合わなくなっていく。2017年、2018年の全日本選手権では、10代の若い平野と伊藤に敗れ、東京五輪前年のヨーロッパ遠征でも勝てなくなった。ランキングでも明らかに格下の選手に勝ち星を許すことになってしまったのだ。怖さ知らずの10代や若い選手には、守りに入っているようでは勝てない。
もともと、石川の強さは格上にも臆さない堂々たるプレースタイル。メンタルで押し切る強さだった。石川には勝負所で打ち切る勇気があり、最大の強みとしてこの日本を引っ張ってきた。
それが10代の新たな世代を前にして、何かが崩れ始めてしまったのだ。
10代選手の台頭
数年間、卓球界を牽引してきた石川が対応に苦労している。
近年の卓球は、「スピード卓球」と呼ばれるほど、スピードを重視するスタイルに変わっている。その変化スピードは凄まじい。これまで以上に一瞬の迷いが勝敗を分けるようになった。そして公式球の変更も追い討ちをかける。これまで使用していたセルロイド製のボールが、プラスチック 製に変更。回転数がかかりにくく、必然的に、よりスピードが求められるようになったのだ。
このスピード卓球に対応するのが、伊藤・平野の10代選手たちだ。
彼女らは、自分のスタイルを確立される前に、この「スピード卓球」が主流になってきた。時代の流れに沿うように自分たちもそのスピードを磨いていくことができた。
一方で、石川はすでにスタイルが出来上がっていた。そこで変化する「スピード」の卓球に苦しんだのだ。
また、幼少・少女期の指導内容にも違いがある。
石川の成長期には中国という圧倒的な国に勝とうとする選手や指導者はいなかった。
「中国は仕方ない。中国以外の国に勝ち、メダルは獲得する」という目標が立っていた。
しかし、伊藤・平野世代は「打倒・中国」として成長してきたのだ。この差は大きい。目指してきたものが違うと、当然見ている景色も違う。
石川はこれまで日本を大きく牽引してきた。実際に中国の強豪選手もたくさん倒してきた。しかし、目指す地点が違った、という壁は大きい。
(写真:産経新聞)
選考レース
石川は、プレースタイルの変更を余儀なくされ、スピードに対応するようになる。その一方で石川は本来の強みであった強敵にも怯まない「思い切りの良さ」に影が見え始めた。勝つか負けるかの局面で、「迷い」が出るようになった。リスクを背負って、勝負にいけなくなっていたのだ。
選考レースでは立て続けに敗戦し、光の見えないトンネルにいるようだった。
チェコオープンでは再び平野に敗戦した。
敗因は、最終局面、ロングサーブを1本決め、その後に2本続けて出せなかった。「勇気がなかった」と振り返る。ロングサーブは相手に読まれれば、チャンスボールとして打ち返されるリスクがある。しかし裏をかけば、相手を追い込める。そこに勝負をかける「勇気」を失っていた。
「精神的に鍛えないと。平野は強気だった。試合から感じた」
そして、2019年10月、獲得ポイントを会得できるドイツオープン。
一つのミスから大きく崩れ、逆転負け。泥沼は続く。
「勝負弱くなっていますね」「何で勝てないんだろう」
終わりの見えない長い長いトンネル。苦しい日々が続く。
しかし、石川の目には強い光が宿っていた。苦しみの中、逃げることなく自分自身と向き合い続けた。
そしてポイント僅差で迎えた代表選考前、最後の直接対決。
運命の石川・平野直接対決の試合がやってきた。この試合、奇しくも勝った方が日本代表の座を手にするという局面。試合は手に汗握る展開となった。
重要局面はセット2ー1石川リードの4ゲーム目。このゲームは8−10でマッチポイントを平野にとられる状況。ここをとられれば、完全に流れを渡してしまうことになる。崖っぷちの状況で、石川は強気だった。
「ひかない」
強気のショットがギリギリネットに触れてインになった。
「気持ちが弱気の時だと入らない」と石川は当時のショットを気持ちが後押したと説明する。
「勇気出した方が勝ち」
この言葉を体現するようにプレーを続け、石川は見事にこの決戦を勝ちきった。
「自分を助けられるのは、自分。今まで失敗すると、なんでこんなことを!と自分を責めていた。でもそうやって自分を責めることをやめた。この試合は最後のチャンスだと思った。このチャンスがあることがもうありがたいことだった」
長い、長いトンネルにいた。光が見えないトンネル。それでも石川は目の前の課題に向き合い続けた。
「『今だけ、今日だけ頑張ろう』この繰り返しなんです。100回くらい諦めそうになりました。すごく辛くて、もう卓球をやめたいと思うくらいの1年でした」
「でも辞めたかったらやめてもいいという気持ちでやったら気が楽になった。今までは努力をすれば結果は必ずついてくると思っていたけど、年数を重ねて必ずしもそうではない、勝負の厳しさを知るようになりました。7歳の時に卓球を始めて、当時想像していたつらさの10倍辛かったです。楽しさも10倍。辛さ、苦しさも10倍です」
2020年、延期が決まった東京五輪への準備期間となった。この一年、卓球が好きだという気持ちを感じたという。
底しれない苦しみを経験してなお、卓球を極めていこうとする姿勢を貫いている。
その原動力は間違いなく「卓球が好き」にある。