世界一を掴んだ理由とその裏側について

Sports

世界一。

 

この景色を見ることができた人は、地球上に何人いるでしょうか。

アスリートとして、その競技を選んだ者として、
この地球上で一番の存在になることはどれだけ幸せな気分だろうか。

 

2009年3月23日

 

世界の野球史に一つ刻まれる日となる。

 

世界一になるまでの軌跡

この大会、侍ジャパンが最も苦しめられ、世界一までのキーとなった国が「韓国」。

予選から決勝戦まで、計5回対戦をしている。大会のラウンドやトーナメント形式上、このような形になっているのだが、一大会でここまで対戦回数を繰り返すのは異例ではないだろうか。

正直もう韓国とは対戦しすぎて、お腹いっぱいになっていた感は否めない。笑

 

対戦成績(対韓国)3勝2敗(日本3勝)
総合成績     7勝2敗(全9試合)

トーナメント表

トーナメント表

 

トーナメント表

出典:2009WBC試合結果 – NPB

 

ではこの「1勝の差」、どこで生まれたのだろうか。

振り返ってみてみよう。

 

個人成績を振り返る

■チーム構成

【監督:1名】
原辰徳

【コーチ:6名】
伊東勤
山田久志
与田剛
篠塚和典
高代延博
緒方孝市

【投手:13名】
ダルビッシュ有(日本ハム)
馬原孝浩(ソフトバンク)
田中将大(楽天)
涌井秀章(西武)
松坂大輔(レッドソックス)
岩田稔(阪神)
岩隈久志(楽天)
藤川球児(阪神)
内海哲也(巨人)
小松聖(オリックス)
渡辺俊介(ロッテ)
山口鉄也(巨人)
杉内俊哉(ソフトバンク)

【捕手:3名】
城島健司(マリナーズ)
阿部慎之助(巨人)
石原慶幸(広島)

【内野手:6名】
栗原健太(広島)※
中島裕之(西武)
片岡易之(西武)
岩村明憲(レイズ)
小笠原道大(巨人)
村田修一(横浜)
川崎宗則(ソフトバンク)

【外野手:6名】
福留孝介(カブス)
青木宣親(ヤクルト)
内川聖一(横浜)
亀井義行(巨人)
稲葉篤紀(日本ハム)
イチロー(マリナーズ)

※第2ラウンドで離脱した村田に代わり追加招集

今大会、現役メジャーリーガーが多数出場。豪華メンバーが結集しました。

 

そしてこの大会、優勝の一つの要因として投手陣の安定が挙げられます。

選手名

試合数

防御率

投球回数

自責点

杉内俊哉

5

0

0

0.00

6.1

0

藤川球児

4

0

0

0.00

4

0

山口鉄也

4

0

0

0.00

2

0

岩田稔

2

0

0

0.00

1

0

渡辺俊介

2

0

0

0.00

2

0

小松聖

1

0

0

0.00

2.2

0

岩隈久志

4

1

1

1.35

20

3

ダルビッシュ

5

2

1

2.08

13

3

松坂大輔

3

3

0

2.45

14.2

4

涌井秀章

3

1

0

2.70

3.1

1

内海哲也

1

0

0

3.38

2.2

1

馬原孝浩

5

0

0

3.60

5

2

田中将大

4

0

0

3.86

2.1

1

出典:2009WBC個人成績 – NPB

防御率、自責点を見て、短期戦とはいえ素晴らしい成績です。

先発(試合の初めから投げる役割)は平均防御率は2点台(1試合平均2失点ほどの計算)に抑え、中継ぎ(試合の中盤で投げる役割)の投手の成績はほぼ自責点0。

文句のつけようのない成績を残しました。

一方、野手陣をみてみます。

選手名

試合数

打数

打率

本塁打

打点

亀井義行

3

1

1.000

0

0

川崎宗則

5

7

0.429

0

1

中島裕之

7

22

0.364

0

6

内川聖一

6

18

0.333

1

4

城島健司

9

30

0.333

1

4

青木宣親

9

37

0.324

0

7

村田修一

7

25

0.320

2

7

稲葉篤紀

8

22

0.318

0

0

片岡易之

7

13

0.308

0

1

岩村明憲

9

28

0.286

0

3

イチロー

9

44

0.273

0

5

阿部慎之助

4

6

0.267

0

0

小笠原道大

9

32

0.250

0

3

福留孝介

7

20

0.200

0

0

栗原健太

2

3

0.000

0

0

石原慶幸

1

0

0.000

0

0

出典:2009WBC個人成績 – NPB

今大会、侍ジャパンにとって最も予想外だったのは、チームリーダーイチローの大スランプに違いない。この不調には、日本中が驚きました。

選手名

試合数

打数

打率

本塁打

打点

イチロー

9

44

0.273

0

5

しかし、記憶にもあるでしょう。決勝戦、延長戦での一打。最後には決めるので、そこが本当に凄いところですね。超一流の選手も毎度毎度ずば抜けているわけではなく、ひとりの人間だったということがわかります。

試合後のインタビュー、イチロー選手はこう言っています。

「日本が勝って、最後いいところで結果が出て、ということによる自信ではないんですよ。そこに至るまでの自分の在り方、これに自信を持ったので。これよりも怖いものは中々でてこないなと今思っています。」

この大会で素晴らしかったのは、イチロー選手の良くない時の「在り方」、そしてそれをカバーしきったメンバーがいたことではないでしょうか。

 

トップ選手の不調時を支えたもの

侍チームの中の誰がイチロー選手のスランプを予想できたでしょうか。メジャーで凄まじい実績をあげ、第一回のWBCでもジャパンを引っ張り優勝に導いた選手。この大会でも多くの選手が、半ば憧れ眼差しでイチロー選手をチームに迎え入れたのでは、と思っています。(とは言え、メンバーは全員トップクラスの選手たちなのでそんな思いは一切ないかもしれません)
しかし、イチロー選手の調子は近年稀に見る大不振に陥っていました。2次ラウンドまでの6試合で1割5分8厘。驚くほどの絶不調です。

ただそんな時のことを、イチロー選手は後にこう振り返っています。

「結果が出てないときにどうであるべきなのか。どういなくてはいけないのかということが大事になってくる。」

結果が出ない時、失敗が続いていれば、下を向いて逃げたくなる気持ちになります。

イチロー選手は違ったんです。チームメイトの前では決して下を向くことは無く、いち早く球場にでて、バットを振り続けてきました。この精神力の強さが一つの大きなポイントだと言い切ることができます。

うまくいかない時でも普段と変わらぬ情熱で、変わらぬ準備や振る舞いをすることができるかどうか。
苦しみに向き合い、決してそこから逃げない姿勢が最後の一打を呼びこんだと考えると、これはもう打つべくして打ったのだとも感じます。

 

そしてイチロー選手苦しみの最中、キューバ戦、試合前の練習である出来事が起きました。

「あれ、今日野手のみんなちょっと違うな。」

 

イチロー選手が感じた違和感は、チームメイトのユニフォームの着こなし。
チームメイトはストッキングが見える【オールドスタイル】で練習に臨んでいました。

画像:傘日和

 

その変化の真意は、ジャパンチームの若手3人の計らいにありました。

3人とは片岡・内川・亀井選手。当時のことをこう話しています。

 

片岡:イチローさんちょっと調子が悪かったじゃないですか、イチローさんを盛り上げるために。

亀井:正直声かけづらかったので形でというか、ストッキング上げたりとか

内川:亀井が「やろうぜ」って言うから「じゃあやるか」って
だんだんこうみんなに、おまえもやれよ、おまえもやれよって言いながら最終的に稲葉さんまでやってもらって。

稲葉:流れを変えよう「じゃあ俺もやる」って言って。

亀井の一言によって、メンバーみんなを巻き込み、そして「無言のエール」をイチローに送りました。

 

そしてその日キューバ戦、イチローは13打席ぶりとなるヒットを打ちます。

その時のことをこのように振り返りました。

「ものっすごい笑顔でみんなが迎えてくれてたんですよ。
みんなうれしそーに僕のことを「ナイスバッティング」っていってね。
やってくれるわけ、こうやって。
あれは嬉しかったですね。」

 

「本当に心の底から笑ってくれてる、喜んでくれてる。
あれはねー本当に支えられましたね。特に”ヤス”(片岡)の顔が忘れられないですよね。片岡の。」

 

実はこのオールドスタイルに秘められた想いに気がついたのは、大会後のことだったと述べていいます。」

「いや。それね。聞いたときに本当に感動して
後輩達がそんな優しさを見せて
僕を守ろうとしてくれていること
ちょっと驚いちゃったし、感動したし。」

 

この行動をイチローだからと言って臆することなくできたこと、
イチローを一人の野球選手として扱い、チームメイトとして扱ったこと、
ここにこの侍ジャパンの強さがあったと確信を持って言えます。

 

「最後にねムネ(川崎宗則が)メールをくれたんですよ。
”今までよりももっと好きになった”みたいにね。そんな感じだったの。
それがなぜかというと、打てないときの僕がすごく良かったって書いてあるんですよね。
最後のヒットは一生忘れませんと。」

「もう涙出そうになって俺。もう半泣きでしたね。
うん。もうほんとうにね。ムネには、ユンケル2年分ぐらい送りたいなと思いますよ。」

人はストーリーに心を打たれます。多くの漫画や映画でも主人公が最初にひ弱で未熟なところから始まり、幾多の経験を積んで徐々に強くなっていきます。そして最後に夢を手にする、というような構成。これは人がその「成長過程」に興味があり、共感するからです。

私も含め、みんな苦しんでもがいています。悩みもたくさんあります。

だからその苦しみから逃げずに、苦しみを伴って出した成果=「結果」に感動するのです。

 

語り継がれる一打

そして2009年3月23日。

宿敵 対韓国戦でイチローが決めました。今や野球史に残る伝説の一打です。
もはやこの一打はイチローのため、日本のために用意されたと言って遜色ないかもしれません。

 

この一打を打つ瞬間、そして打つ前、打った後、これを時系列に振り返ってみよう。
いかにしてこの一打が生まれたのか−−。

 

■打席前

実はスコアラーとの会話が行われていたのだ。

「あの場面でですよ、『僕、何狙えばいいですか?』と。イチロー選手が私に聞いてきたのは、この時が初めてでした。これまでも練習の時から、ずっとチームが徹底する事項に従ってくれていましたし、各打席で自分で考えて打っていましたから、私も思わず、『え? この場面で? 俺に聞く?』って動揺してしまいました」

当時のスコアラーは三井康浩氏。

三井氏は1985年に現役引退後、87年から巨人でスコアラーを20年以上務めてきた。巨人の頭脳として、2007年まで一筋でスコアラーをやってきている中で、ポリシーがある。選手が自分に聞いてきたときは「迷わせないこと」「考える時間を与えない」ことだ。

だから、イチローにも言った。「ここはシンカー(狙い)だけでいい」

シンカーは、林昌勇の勝負球だ。

「この場面でクローザーがイチロー選手に対して、一番自信のある勝負球を投げてこないはずがありません」

そう分析した。ストレートでもなく、スライダーでもない。シンカーを狙っていってほしい、と伝えるとイチローは静かにバッターボックスへ、歩を進めた。

2死二、三塁。イチローは最初の方のストレートは見逃し、シンカーを狙っていったがファウルになった。追い込まれるとゾーンに入ってきた直球はカットしたものの、狙いは変えない。そして8球目、高速シンカーにバットを合わせ、センターに弾き返したのだった。

この一打にはともに日の丸の重圧背負ったスコアラーの努力もあったのです。
そして準備の力。イチローは試合を決める超重要な局面でもいつもと変わらぬ姿勢、変わらぬ精神状態でいたのでしょう。

決して運頼みではない。勝つための要因を探す姿勢がそこにありました。

 

■決定打の瞬間

ではこの場面、どんなことを考えて打席に入ったのでしょうか。

「ここで打ったら、えらいことだなと。ここで打ったら、えらいことや。
打たなかったら、もっとえらいことやと。(笑)
で、そういう思いがよぎるときっていうのは、結果はあんまりでないですよね。まぁ言ったら雑念が色々入ってきてるわけですから、でもそれがよぎってしまったので、もうどうしょうもない、これ消すこともできないんですよ。」

「『さぁ、この場面イチロー選手打席に入りました』みたいな感じで、入っていったんですよ。」

打席の5球目にファールを打った時、イチローは「いただきました」という感覚に陥ったと言います。

「もう、必ずいい結果が出ると思ったんですよ。勝負してくれればかなりの確率でヒットが出る。」

「あのボールをファールにできたということではないんですよ。
むしろ、あの球を、僕ヒットにできると思って打ちにいったんですよ。
あ、これヒットに出来る!でも結果的にはファールになった。っていうファールなんですけど、あのボールをヒットに出来ると思った感覚を持った自分がっていうことだと思うんですよ。」

これはもう、凡人には理解できない領域の話なのかもしれません。一つ言えることはあの打席で、イチロー選手は絶対的な自信があったということです。

写真:日本経済新聞(2019.03.22)

■打席後

仕切りにヘルメットの耳の部分を触る仕草が印象的でした。

「あれは、でも困りましたね。みんながおそらく喜んでくれてる。
ダグアウトを見たら、僕は多分感情的になるんで、見れなかったんですよね。見れなかったといったほうが正しいのな。だからリプレイ見るし、ヘルメット触るし、なんかこう時間つぶししなきゃいけないんです。」

隙を見せない。

「あの最後の打席では、『ここで三振ぶっこいて負けたら、ホントにオレの過去は何もかもがなくなるな』って思っていました。僕があのWBCで最後にヒットを打って、『おいしいとこだけ頂きました』と発言しましたが、あの状況がおいしいわけがない。ああは言ったものの、僕の野球人生、将来も過去も含めて、あれはすべてを打ち消してしまう可能性のある打席だったんです。あれをおいしいところだと思えるのは、恐怖と戦ったことがない人でしょう」

 

あの死闘から11年、SMBC日興証券のWEB動画「おしえて!イチロー先生」で、選手時代に感情を抑えていた理由について語り、あのwbcでの場面のことが明らかになりました。

「WBCの2009年はご記憶の方もいらっしゃいますかね? 決勝戦、韓国戦のセンター前ヒットがあるんですけれど、僕はどういう振る舞いをしたらいいのかを走りながら考えるんですね。ダッグアウトを見ると、きっと日本チーム、みんなが喜んでくれている。だから、見たらダメだと思ったんですよね。見たら、僕もそれに応えないといけないので、見てはいけない。だから僕は見なかったんですよ、ダッグアウトを。相手にとって、一番屈辱は何かと考えたんですよね。それは、僕が喜ぶことじゃないと思ったんです。『こいつにはもう敵わない』と思うとしたらそれだと思ったんです」
「だから、目の前に起きたことのその先のことを考えるんです。そうすると、割りと冷静になれる」

かっこいいです。ひたすらにかっこいい。そしてクレバーでクールです。

実は世界一がかかっている究極の場面でも、プロとしての「見られ方」を意識していました。

 

韓国チーム裏話

韓国の監督・金寅植(キム・インシク)はこの場面について「自身の伝達ミス」と話し、それを決勝戦での敗因に挙げました。

「イチロー選手を敬遠しろと明確にバッテリーに伝えなかったのは監督のミスです。厳しい状況で選手に楽にプレーさせてやるのが監督の務め。そうさせてあげられなかったことを後悔しています」

この勝負には前回大会からの因縁もあったと感じています。

それは2006年第一回wbc大会直前、イチローはメディアに向けてこう宣言しました。

「(中国や韓国は)もう向こう100年くらい日本には手が出せない、そんな勝ちかたをしたい」

当然この発言はアジア圏諸国の警戒も含んだ言い方だったとは思うが、発言通り第一回では日本が世界一に。

韓国としてはリベンジに燃える中でのこの大会。イチローを完全に抑えての勝利こそ真の勝利、そのように燃えていたのではないだろうか。

10回2死一、三塁で打席にイチロー。バッテリーは勝負を選択。

その裏には選手とサポート陣営に少し温度差か好きがあったのかもしれません。

あの場面、迷わずイチローを敬遠していたら、当然あの一打は生まれなかった--。

 

〜MINEの視点〜

・イチロー選手の精神力の強さ
・侍ジャパン若手メンバーの思いやり
・それを受け入れすぐに行動に起こすメンバー
・結果が出たときには全員で全力で喜ぶ温かさ
・打席前のスコアラーとのやり取り

この大会の世界一には知られざる苦悩と努力、そしていろんな人の支えがあって達成されたのだと、改めて感じました。同じ国に生まれ、私自身同じ競技に携わり、そしてこの瞬間に立ち会えたことを幸せに思います。

2009年当時、リーマンショックで日本や世界中が景気悪化のショックを受けていました。そんな中でこの侍チームの優勝はどれだけの人に勇気や希望や力を分け与えたでしょうか。

野球のみならず、スポーツには無限の力があると信じています。それはそのスポーツをやっていない人にも伝わります。
私もいろんな競技の、いろんなアスリートに影響を受けてきました。

本当にこれはすごいことだなと、なんとかその影響や威力を、
一人でも多くの方に届いたら嬉しいと、単純にその気持ちで書いています。

 

今回の記事は思い入れのある内容でもあり、長々と書いてしまいました。

今後も【スポーツ】や【アスリート】にまつわる多くの記事を書いていきます。
是非楽しみにしていてください。

 

ここまで読んでくださりありがとうございます。

 

MINE

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