2020年春の選抜高校野球大会。
コロナウイルスの影響によって初の中止処分になった。この処分に出場予定校全てがどんな気持ちになったのかは、我々の想像以上だと思う。
中でも21世紀枠によって、46年ぶりに甲子園の舞台に戻ってくるはずだった高校がある。
磐城高校
毎年のように東大合格者を輩出する進学校ながら、過去には甲子園9回の出場を誇る古豪でもある。
長年の想い、甲子園復帰ー。
実は、磐城高校野球部が奪われたのは選抜中止だけではなかった。
突然の内示
(写真:朝日新聞)
磐城高校の監督を務める木村保は、その瞬間に涙を流すわけにはいかなかった。
「甲子園に立てなかった子供たちのダメージの大きさを考えれば、私が下を向くわけにはいかないんです。彼らに落ち込んでいる姿を見せたくありませんでした」
日本高野連が「無観客の方向で選抜を開催する」と発表したのが、3月4日。奇しくもその同日、監督の木村に異動の内示が出された。
突然の内示に驚き、公立校の宿命とはわかっていたものの、「異動がなくならないか」と願う自分がいた。
「やるせない気持ちは、正直ありました」
選手たちに異動の報告をした後、木村は選手たちの目を見られなかった。見てしまえば感情を抑制できなくなる。だから、自分が3月で監督を退任し、他校へ転勤することを淡々と告げた。
「『夏に向けて頑張ろうぜ!』と言えない辛さ。ものすごく…苦しかったです」
今回の選抜大会は「奪われた選抜」の象徴として悲劇のように扱われたが、木村はこれが一代によって築かれたものではないことを知っている。
「一生懸命、目標に向かって我慢強く、粘り強く突き進んでいけば、素晴らしい出来事に出会えるんだな、と。ひとつ言えるのは、今年のチームがいきなり結果を出したわけではないということです。各年代の力が継承されていく。1年、1年の積み重ねが、磐城高校の強みなんです」
木村には指導者としての理念がある。
“Play Hard”
もともと、戦前に巨人がアメリカ遠征に行った時に、相手チームから教わった言葉だという。
これにピンときた木村は、以降、部訓として掲げ、全力疾走・全力プレーを求めた。
磐城高校の野球部員は進学校であることもあり、頭がいい。言われたことはそつなくこなす。しかし、木村は「裏を返せば言われたことしかできない」と選手たちの特徴を見抜いていた。
野球では不測の事態に遭遇することが多々ある。そんな時に自立した態度でプレーできることを望み、木村は特に「自主的な行動」を養うことにこだわった。
「口先だけだと野球のプレーにも現れますから。『俺たちは勉強も学校生活も野球も全力でやる。それが強みなんだ!』と。そう教えていく中で、私も彼らに主導権を握らせるようになってきました」
この意識を持ったのは2018年ごろ。奇しくもこの年に入学したのが今の3年生であり、
彼らが“Play Hard”の成熟期に指導を受けた世代なのだ。
甲子園での贈り物
そして、時は8月、選抜出場が決まっていた各校に吉報が届いた。
大会の開催はできないが、1チーム1戦だけ、交流試合が行われることになった。
そしていい報告はもう一個。高校野球連盟の計らいにより、前監督の木村がノッカーを務めることが認められたのだ。
選手たちはもう2度と受けることができないであろう、そして木村自身も打つことができないであろうと思っていた「ノック」が、憧れの甲子園で実現した。
その時の様子である。
この7分間がどれだけ選手にとって、そして木村監督にとって尊く、素晴らしい時間だったか。
コツコツと毎日を積み重ねてきた者だけに訪れる神様からの「贈り物」だったのかもしれない。