「柳田将洋」
日本男子バレーを牽引する選手であり、’17年には海外挑戦を続けて今もなお成長し続けている選手である。
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海外挑戦の中で
柳田は昨秋のW杯直後に渡欧し、ドイツリーグの強豪ユナイテッド・バレーズでプレーした。最中、新型コロナウイルスの感染拡大にともない、突如ドイツリーグの中止が決定。
帰国を余儀なくされ、その後2週間の自宅待機、そして直後には東京五輪の延期も発表された。あっという間に大きな影響を受け、衝撃的な決定がされる中、できることは自重トレーニングのみ。気持ちが減入ることもあったが、そう長く落ち込んでいたわけではない。
「僕、基本的にポジティブなんです。『こうなったらどうしよう』と不安に思うのではなくて、常に最悪の想定をするので、何かあっても『以外とこれくらいで済んだ』と思える。だからオリンピックも、延期が残念というよりも中止にならなくて良かった、って。今はまだ1年後を考えるのは難しいですが、それならば今置かれている状況の中でできる目標に基準をおくしかない、と切り替えることができました」
もともと海外に挑戦する志向があったわけではない。
’14年に日本代表に選出され、翌年のW杯で活躍は見せたものの結果は6位。世界の強豪国との差を痛感し、日本での安定の道は捨てて、挑戦が必要だと判断した。
「日の丸をつけて戦い続けるために」と、海外へ渡ることを決断した。
下の世代に向けて
これまで柳田は他の選手同様、バレーボールのプレーによって自己を表現したり、評価を受けてきた。
それがコロナによって、コートでプレーする姿を見せられない状況になる。
そんな状況で、「頭を使いすぎて頭が痛くなった笑」ほど、考え続けた結果、プロバレーボール選手としてできることは何か、漠然とではあるが見えてきたという。
「例えば僕が小学生の頃を考えれば、情報は指導者から与えられる入り口しかなかったけれど、今はオンラインでトップ選手が指導も、話もできる。実際にサッカーや他競技の選手は実行していて、僕は刺激を与えられてきました。同じように僕の経験もしっかりコンテンツにして伝えることで他の選手、コーチ、他競技や多分やの誰かに刺さって、新しい展開が生まれるかもしれない。これからは競技者として、自分に向けていた矢印を、もっと下の世代や外に向けて発信したい、と思うようになりました」
海外でプレーするという決断をしたことも、大きな経験として伝えることができる。
「自分がどこへ行きたいかと考えて僕はプロになったし、海外へ行った。その経験を伝えることはできるし、彼らにもいろんな選択肢を与えてあげたい。そこから自分で選んで、進める選手が束になった方が、日本代表も強くなれると思うんです」
自粛は辛抱ではなく、準備の時。
この時間があったからできた、という瞬間を作っていく。
まとめ:アスリートの視野の広がり
✅マイナスはポジティブに転換して捉えてみよう!
✅経験は次の世代へ伝えることができる。アスリートはプレー以外にも「発信」から影響を与えることができる!
厳しい状況でも下を向いているわけにはいかない。
この新型コロナウイルスの影響はいろんな意味で、多くの人や業界に影響を与えてきたが、アスリートにとってもそれは例外ではない。
これまでプレーによって自身の存在価値を示してきたアスリートだったが、影響力を持つ者はその期間にどんな振る舞いをして、どんな言葉を発するのか、にも注目される。
口を閉ざしていればそれまでだが、アスリートの頑張りや言葉の発信によって勇気づけられる人がたくさんいるのも事実だ。
今、多くの人の発信が気軽に見られる世の中になっている。有名なアスリート、これから有名になりたいアスリートは、自分の取り組みや考えを発信することにも積極的になりたい。