’18年夏、第100回の甲子園記念大会で高校野球ファンを大いに魅了し、日本を盛り上げた高校があった。
秋田県の「金足農業高校」。
現在の高校野球において、憧れの舞台である甲子園に出場できる高校はひと握り。どの高校も各地から優秀な中学生を集めて、どうやったら同地区の強豪に勝てるか、試行錯誤を繰り返す。
そのなかで、過疎化も進む秋田県公立校の金足農業高校は、多くの予想を覆し、あらよあらよと決勝に進んだ。ここまでの勢いに乗れた要因はいかなるものなのかー。
Contents
勝つごとに増す勢い
(写真:共同通信社)
特に高校野球は、雰囲気や勢いが本当に勝敗を左右する。
金足農業も例外なく、その勢いに乗るきっかけがあった。3回戦の強豪・横浜高校との対戦、8回表を終えて2点を追う展開。その裏に6番高橋がスリーランホールランを打ち、大逆転。このまま強豪横浜を破り、一気に注目を集める。ここから「カナノウ」は大きな風に乗り、決勝まで進んだ。
被弾した横浜の板川投手が振り返る。
「金農の強さは感じませんでした。この時は、金農も、まだ勢いに乗っているという感じではなかったですから。自分たちに勝ってからです。吉田を中心に野球を楽しんでいる感じが出てきたのは」
エース吉田は甲子園の雰囲気が味方したと感じていた。
「甲子園が味方をしてくれている感じがあった。なので、その勢いに乗っちゃおうかという感じでしたね」
何とも野球を楽しんでいる様子が伝わってくる。
笑顔が生んだ輝き
「試合中、ピンチになればなるほど、笑顔を発信したほうが、周りも、自分もリラックスできる。それに、ちょっとふざけるというか、遊びがあったほうが、いいパフォーマンスを発揮できるとおもいます」
吉田は笑顔の意識を持ち続けることで、ベストな自分へと状態をチューニングした。
甲子園大会準々決勝で対戦した近江高校戦では、球場中がカナノウ旋風に巻き込まれていた。吉田が三振を取るごとに拍手と歓声の嵐が起こり、球場が興奮状態に包まれた。
近江高校の監督、多賀はその異様な雰囲気を「恐怖」と表現した。
「あんな雰囲気の甲子園は初めてでしたね。異様でしたもん。攻撃してても、ここで追加点取ったら、お客さん、怒っちゃうんじゃないかなとか。そこまで考えましたよ」
近江戦9回裏、金足農業は1−2で負けていた。
敗戦の文字がすぐそこにあるなかで、金農ベンチにいる選手の表情に驚きが隠せなかった。
最大のピンチの中、吉田は両隣の選手と肩を組み、楽しそうな顔をして戦況を見守っている。
スポーツには重要な場面、緊張感のある場面がある。緊張感のあるシーンでは、選手の表情は真剣で近寄りがたいような、命をかけた戦いにいくかのような表情を見ることが多い。
同様のシーンで、「笑っている」「楽しそう」なチームは初めて見るかもしれない。これは相手にとっても不気味で仕方がなかったに違いない。
それは決勝戦で敗れるその瞬間まで、決してブレることがなかった。
心の底から「楽しむ」
甲子園の印象では、金農野球部は自由で、日頃から笑顔たっぷりの練習をしているのかと想像する。
しかし、これは全くの逆だった。ミスをしても「ドンマイ」の掛け声は禁止で責められる。練習量も尋常でない量をこなしている。上下関係も厳しい環境だ。
ではなぜ、金農はあんな笑顔でプレーできたのか。エース吉田が答えた。
「勝ったからですよ。あとは、あの球場の雰囲気ですね。結果が出ていなかったら、罵り合っていたと思いますよ」
これは、「楽しむ」の本質だ。
単に「楽しんでやろう」とか「エンジョイベースボール」という表現では表すことが難しい。
心の底からその競技を楽しむためには、やはり「勝つ」ことが必要なのだ。勝たなくては楽しめない。勝つためには、普段から自分を追い込んでしんどい思いをしておかなくてはいけない。
日頃から、仲間同士が高みを求め、刺激を与え続ける。そうして追い込み続けることでのみ、試合で本当の笑顔が出せるのだと思う。
まとめ:遊び心を持ってプレーしてみよう!
✅試合中も笑顔でプレーしよう!自分も周囲もリラックスさせることができる
✅笑顔でプレーするために、練習ではミスに厳しくなろう!
金足農業野球部から、学んだこと。
それはスポーツにおいて、「勝利」は楽しむための必須条件なんだということである。これは勉強でも同じかもしれない。勉強もいい点数が取れたり、わからないことがわかるようになって初めて楽しくなる。
「楽しもう」「楽しんでいけ!」という言葉がある。これはとても良いことで、楽しむことこそが、そもそものスポーツの語源であることも確かだ。
しかし、趣味として楽しむスポーツとアスリートが仕事として楽しむスポーツにおいて、「楽しむ」の意味合いが異なると思っている。学生スポーツもいわば、仕事としてのスポーツに含まれるかもしれない。
その競技に人生を捧げているアスリートにとって、勝ってこそ、それが楽しくなる。負ければ本当の意味での楽しさは味わえないのではないか。
私は自らの競技人生を経て、そんなことを感じている。
だからこそ、「勝利」に貪欲になる姿勢は捨ててはならない。