2018年、JRA通算で4000勝を達成した未だなお現役ジョッキー。51歳。
日本でその右に出る者はいないであろう世界を代表する騎手である。
武 豊
’87年に初勝利を飾ってから33年。どんな競技人生を歩んできたのか。
(写真:日本経済新聞 2018年9月29日)
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勝利の積み上げ
現在4100勝以上を達成している。そこまでの道のりにはもちろん困難もありつつ、一つひとつそれを乗り越えてきた。その結果が4000を超える数字になっている。
では節目の1000勝をどう積み上げてきたのか。
1000勝まで8年、2000勝まで7年、3000勝まで5年、4000勝まで11年。
「僕の中で、10代の頃はキツかったなあ。10年くらいはしんどかったです。でもそんな時期であってもすごく嬉しいことが、競馬だからたまにあるんです。それが励みになる。」
大きな怪我も経験した。レース中の落馬で肩を負傷。感覚を取り戻すのに時間がかかり、20年経ってから初めて「人が離れる」ことを経験したという。
「ジョッキーって、騎乗依頼がこなければどうしようもない。お店やっているのと同じで、お客さんが来ないと収入は上がりません」
でもそこで変えた。40代、周囲には引退も囁かれる中、根本から全てを変えた。
「生活から、考え方を変えました。新人みたいになりましたね。人から見たらほとんどわからなかったかもしれませんが、『これじゃあアカンな』と気づいた細かいことを一つずつ修正しました。それと、トレーニングはガラッと変えましたね。以前のやり方を続けても結果は出ないので、もっと頑張ろうと」
引退に抗いたいような気持ちもあったのかもしれない。でも一番は競馬を愛する気持ちだろうか。
成長が止まらず、いくつになっても結果を出し続けるアスリートは【変わる】ことができる。今まで続けてきたことを壊し、新しいものに変えるということはとても勇気のいること。
それを恐れず、そこに勇気を持って決断できることが一つの成功する理由なのかもしれない。
(写真:朝日新聞 2006年3月)
理想像
数値目標を立てた。34年の騎手キャリアでは初めての試みだという。
今、年間100勝を掲げる。
’03年〜’05年には3年連続200勝を達成した過去がある。前人未到の大記録である。
「’00年にアメリカ、’01年と’02年にフランスと、海外で乗ったのが大きかった。あの3年間、新しいことに出会えて僕自身、すごく楽しかった。日本にいれば絶対に味わえない体験で、何より、世界トップレベルでやっている実感があって、ものすごくやりがいがありました」
今でこそ、海外で活躍するアスリートは多く存在するが、当時は別競技で活躍していたアスリートに刺激を受けたという。
「カズ(サッカー)さんや伊達(テニス)さん、野茂(野球)さんはほぼ同世代で、刺激を受けました」
こうして多くの経験を重ね、そして多くのジョッキーたちとも戦いを繰り返してきた。
武豊にとって、ナンバーワン・ジョッキーは誰なのか。
「フランキー・デットーでしょう。僕の方が年上だけど、憧れの存在です。ジョッキーの理想像が僕の中にイメージとしてあって、こういう感じでいたいな、こうありたいなというのをフランキーがまさにやっているんです。騎乗技術とかフォームももちろんそうですが、何よりもそのスター性です。ここぞという場面で爽やかに勝ちますしね。彼がいると場の空気が変わる(出典:Number 1000号『ナンバー1の条件』」)
武豊もまた、勝利数をゴールに設定しているわけではない。理想はアスリート、ジョッキーとしてのその「姿」。
前回のブログでも紹介した女子ゴルフの宮里選手も同様だった。愛されるアスリート。応援されるアスリート。ファンがいなければプロスポーツは成り立たないことを理解している。
〜MINE’s EYE〜
51歳。アスリートとしては大ベテラン、人生軸で見ても折り返しの年齢である。
それでもやはり理想があり、追い求める姿がある。それは順位や数字とは関係ない。あるべき姿。アスリートとしてのあり方にある。
そして何歳になっても変わることへの姿勢。この変化を厭わない姿勢も、毎年結果を出し続けるアスリートの共通項に思える。
武豊も40歳を超えて引退を囁かれるという経験をして、反骨心からもう一回踏ん張ろうと奮起した。見返そうという気持ちも大きな原動力になる。この気持ちを持ち続けることがその人をアスリートであり続ける秘訣。
アスリートだけの話ではない。会社員、フリーランス、学生、どんな人にも共通して当てはまる。
自分としての在り方。そしてそのために変化することを恐れない勇気。
アスリートの生き方を見ていると多くのことを学ぶことができる。こんな人生を歩みたいと思える。
常に自分と向き合い、生きている。
もう一回、頑張ろう。