北京で咲いた!史上初の執念の金メダル

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野球と似たような競技だが、野球ではない。

 

「ソフトボール」という独立した競技が日本中に、広く認知されることになる。

 

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ソフトボールという競技

ソフトボール

→ソフトボールは野球と似た球技。野球から派生したスポーツであるが、野球とは投球方法、競技場の規定、使用球、ルールなどが大きく異なっている。野球と比較して狭い土地でも行うことができる。日本では「塁球(るいきゅう)」とも呼ばれる。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

✅歴史

・比較的日本では認知度が高く、体育の授業等でも実施される。

・夏季オリンピックでは、1996年のアトランタ大会にて、女子のみが野球と共に正式種目になった。当初はアトランタ大会限定とされたが、その後2008年の北京大会まで開催された。
→特に欧州への普及度は低く、国際的に認知の高い競技とはいえない背景がある。

 

【日本代表】北京オリンピック結果

◆予選リーグ

○ 4-3 オーストラリア
○ 2-1 台湾
○ 3-0 オランダ
● 0-7 アメリカ
○ 3-0 中国
○ 5-2 ベネズエラ
○ 6-0 カナダ

◆準決勝
● 1-4 アメリカ

◆3位決定戦
○ 4-3 オーストラリア

◆決勝
○ 3-1 アメリカ

→史上初金メダル獲得

(参考・写真:2019年3月15日 Olympic channel

 

舞台裏

ソフトボールは野球同様に、競技特性や試合時間の長さ、国際的な認知度の低さからオリンピック競技から除外されることが何度かある。2008年北京オリンピック開催当時、次回ロンドンオリンピックでは除外が決定している状況であった。ソフトボール日本代表としては4度目となるオリンピック。そして次はいつ開催が認められるかわからない状況での開催。並々ならぬ想いはチーム全員にあったはず。その中心にいたのは当時の絶対的エース上野由岐子。準決勝から決勝までの3試合を2日間で413球の熱投。決勝では最大のライバル国アメリカを下し、4度目のオリンピックで悲願の金メダルを獲得した。
エース上野が投じた魂の413球は今でも語り継がれる歴史的な投球になっている。

この大会、どのようにして優勝を手にできたのか。

特に注力したのは、各国の戦力分析。選手は各々分厚いデータ集を読み込み、強豪投手の配球の特徴を頭に入れて臨んだ。

最大のライバル国アメリカには主力エースが2人おり、その攻略には投球時の一瞬の癖を見抜くよう、徹底して分析を重ねた。

『アメリカには、もし決勝前の試合で負けても、最後に勝てばいい。途中で何があっても暗い顔はしない。見ている人たちを感動させる試合を、全員でやりきる』。選手村ではメンバー同士このような会話を重ねることで、統一されたマインドで決勝に挑むことができた。

勝利の裏には緻密な作戦、データ分析、各選手のマインドの安定があった。

(写真:日刊スポーツ

 

苦しみの先に

決勝戦の最終回、7回裏二死からアメリカの打者が放った鋭い打球を、三塁手の廣瀬芽が好捕。送球が逸れたものの、一塁手の佐藤理恵が身体を目いっぱい伸ばしてつかむ。佐藤がそのウイニングボールを空高く投げ上げ、マウンドでガッツポーズを掲げる上野の元に次々とナインが駆け寄る。そして、テレビからは解説の宇津木妙子氏の「よし!よし!よし!やったぁー!」という涙の絶叫が聞こえてくる。(2017年12月18日 ベーボールマガジン社

1996年のアトランタオリンピックから女子ソフトボールが正式種目となり、アトランタオリンピックでは4位。惜しくもメダル獲得を逃したが、2000年のシドニーオリンピックでは予選リーグ・決勝トーナメントを無敗のまま駆け抜け、決勝まで勝ち上がり、当時王者として君臨していたアメリカと対戦。その対戦では延長の末、サヨナラ負け。

限りなく金メダルに近い銀メダル」を獲得した。

(参考:日本ソフトボール協会)

2004年のアテネオリンピックでは金メダル獲得が期待されたが、惜しくも銅メダルに終わり、アメリカが3大会連続の金メダルを獲得。

その後の北京である。決して順風満帆だったわけではない。

選手はもちろん、首脳陣、関係者総力戦で勝ち取った勝利だった。

 

 

次に目指す場所

上野:「オリンピックで金メダルをとりたいというのがずっと夢で、2008年まで追っていたものが達成して『じゃあ次なに』みたいな。」

上野選手は未だ現役。2020年7月には38歳を迎える。
北京で悲願の金メダルを獲得。その一方で、大きな目標を達成し『燃え尽き症候群』のようになった。

上野:「モチベーションが上がってこないので、練習をやりたくないと思っていた。頑張っていない自分が嫌だったんですよ。こんな思いでやるくらいだったらもうやめたいなと。」

そんなときに宇津木監督(北京五輪時の解説者)にこのように言われたという。

『これからは頑張るんじゃなくて、ソフトボールに恩返しするつもりでやればいいのよ』と言ってもらった。宇津木監督が日本代表監督に就任したので恩返ししたい。力になりたいと思った。

 

〜MINEの視点〜

最後、決勝でアメリカに勝つ。日本代表は初めからこの結果を見据えていた。ビジョンが見えきっていたのだと感じます。金メダルという目標からブレることなく、北京に懸けてきた。本当に総力戦だったと思います。

これをきっかけに、多くの人にソフトボールが知られ、広まった。ロンドン、リオを不参加のまま挟み、ついに東京で復活を果たす。延期は楽しみにしていただけに残念な気持ちもある。

しかし開催が決まれば、世界一に近いチームとして、最高のパフォーマンスを見せてくれることが期待できる。1番の強みは、当時の世界一の景色を知っているエースがまだいるということ。

上野はもう中心メンバーでないとはいえ、まだ現役としてグラウンドに立つ。後続のメンバーも、その重たく尊い想いを背負いながら戦っていく。

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