日本で数々の輝かしい記録と人々の記憶に残る成績を残してきた。
オリックスのイチローは、2001年、シアトル・マリナーズのイチローになることが決まった。
メジャー挑戦1年目、この時のイチローはどんな思いでプレーをしていたのか。
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数字へのこだわり
(写真:BASEBALL KING)
メジャー初挑戦の開幕から飛ばしまくった。野球の本場・世界一のステージで名だたる投手たちから安打を量産し、一気に注目を浴びる。
シーズン中盤のオールスターにも選出され、全米がイチローに視線を集めるようになる。
その勢いが、オールスター明けの後半戦で「少し」失速した。後から見れば、本当に「少し」の失速だったが、当時、メディアはいろんな声を上げてきた。
「相手の対策が追いついてきた」
「イチローが疲れてきた」
全く問題なく、すぐに調子を戻すことができたのは、自分で決めたことを徹底することを続けたからだ。コントロールできないもの事には距離を置く、この基本姿勢を貫くことができたからだ。
「人が僕のことをどんな風に話すか、思うか、なんて僕がコントロールできるものではない。いろんな事を噂されたりするのも僕という選手、存在を楽しんでもらっている、と思えば良いのです」
そして、これは「数字」による順位争いでも変わらぬ姿勢だった。
「例えば誰かと打率を争っていたりするとき、知らず知らずのうちに相手の失敗を願っている自分がいたりするとすごく嫌になる。自分ができることをすればそれでいい。僕は長い間、タイトルというものと付き合わされてそう考えるようになりましたから」
自分が定めた目標は当然ある。シーズン200安打という数字だ。
「何か数字を挙げろ、と言われれば200安打が大きな目標でした。大きな自信になりますね」
1年目のイチローは本当に気合い十分だった。「1年目」という年の重要さを誰よりも重大に捉えていた。
「とにかくすべてを出し切る。アメリカでの物差しを作るために」
すべてを野球に捧げる覚悟を持っている。
リーダーシップをとる
(写真:朝日新聞社)
「“さあ、いくぞ”とか元気に声をだすとかは誰でもできる。みんなで仲良く、というのも高校野球まではある程度必要なのかもしれない。でもプロのレベルでは、どんなにプライベートで仲が悪くてもグラウンドでひとつになればいい。何も言わず体で示すのは難しい事ですが、僕はそれがチームを引っ張る、という事だと思っている」
マリナーズはこの年、公式戦最多にならぶ116勝を挙げ、優勝決定シリーズへ。
ワールドシリーズにこそ出場できなかったものの、チームとしても最高のシーズンを送った。
優勝決定シリーズで敗れたのは、名門ニューヨークヤンキース。ヤンキースの戦い方に、自分のプレースタイルの理想と重なるものがあったのか。
「ヤンキースは特別な試合で普通にプレーできる。これが彼らの一番の武器でしょう。決して特別なことを仕掛けてくるわけではなく、相手を考えさせたり、相手を勝手に変化させてしまう」
そしてイチローはメジャー挑戦1年目に、
新人賞、そしてリーグMVPを受賞する事になる。史上2人目の新人王とリーグMVPのタイトル同時受賞。この結果は、緻密な準備・積み重ねに加えて、この特別な年にかけていた覚悟が裏付けされていたのではないだろうか。
まとめ:コントロールできることに注力しよう!
✅人の意見や噂に左右されることなく、まずは自分が決めたことに精一杯取り組む
✅行動は言葉よりも説得力があり、時にそれが組織を引っ張る事につながる
貫いていた。イチローほど有名になれば、それだけの多くの人に見られ、多くの意見が発せられる。しかし、それに影響を受けることはない。
自分の人生は、自分にしか責任をとることができない。
自分を取り巻く環境、数字、順位に囚われることなく、自分のやるべきことだけにフォーカスする。
これを淡々と積み重ねることができる、この力が個人的にはイチローを最もリスペクトしている理由のひとつだ。