今回は、僕の“リアル”な友人でもあり、“魅力的”な人をひとり、ご紹介させてください。
本人に許可を得た上で、本記事執筆のためインタビューを敢行し、詳細を包み隠さずざっくばらんに話をいただきました。
彼の“生き様”や“決断”が若者たちのなにかのきっかけになってほしい!という思いから企画をしたインタビューです。
彼にはコーチングを提供させていただく中で関わらせていただき、確かな前進と決断の過程を近くで見てきました。もともと積極的ではなかった男が、「いつかは移住したい!」という想いに向き合い、正直になり、1年半で
・会社員を辞め、
・結婚し、
・北海道に移住すること
を決めました。
1年半でここまで進み、決断できた理由をすべて記します。
ぜひ最後までご覧ください^^
では早速いきましょう。
Contents
☆人物
何をしてきた人間か
✔経歴
・小学校〜大学まで野球一筋。
✔タイプ
☆(過去)
・周りの雰囲気に合わせて行動する
・空気を読んだ行動をしてきた人間
・決して積極的でリーダー気質という感じではない
🔽
☆(現在)
・自分がやりたいことを最優先にして選択
・やりたいと思っていたことに最短で選択
・「死」を考え、「今しかない」と思い即行動
本人談で、もともとは「周りに流される」タイプだったとのこと。
しかし今となっては完全に逆転。
空気を読まず、やりたいことに真っ直ぐな行動をしています。本人も性格の変化を感じ、今を生きています。
そして今回の決断。以前であればしていなかったであろう大きな決断をしました。
インタビュー
“枝松秀星”という人間
ー【自己紹介】
「枝松」と申します。
私は大学まで野球やってまして、卒業後は医療機器メーカーで2年間営業し、色々あった末に、北海道で酪農をしようと決めました。
ー今、何をしているのか?
現在、「ギャップイヤー」を過ごしています。医療機器メーカーを退職し、移住に向けた準備をしています。
ーこれから何をするのか?
北海道で酪農家の道に進みます。
もともと親の出身地でもある北海道に憧れがあって、いつかは移住したい気持ちがありました。
1年半前から徐々にそのための選択肢を探し始めて、今に至る、という感じですね。
“決断”に至った経緯
軽い気持ちで選択することは難しい“道”に進む決断をした枝松さん。これまで都内で過ごしていた24歳の決断。相当な覚悟や想いを感じますが、その“決断”に至ったのはなぜなのか。その背景を聞きました^^
ーなぜ移住するのか?
奥さんと移住したいと話をしていた。約1年半前から、その思いがさらに強くなったことで動き出しました。
ーなぜ今、このタイミングでの“決断”なのか?
コロナの影響が大きいです。いつ自分の人生が終わるのか分からなかったし、ずっと東京にいるのも生きづらいと感じました。
今後の2〜3年先を考えて、本読んだり、いろんな人の話を聞いたり、行動をしてきました。
ー奥さんの影響も大きかった?
それはありますね。
僕自身、もともと決断力の強い方ではないので、どちらかというと彼女に引っ張ってもらって、という感じでした。
ーどのくらいから考え始めた?
2019年9月に考え始め、コロナがきっかけで本格的に考え始めました。
そして北海道移住を2021年の2月に決めたので、1年半くらいは探したり、話したり、悩んだりを繰り返していました。
ーこの移住という決断に不安や怖さは?
怖さしかないです笑
あっちで暮らしたこともないですし、新婚でいきなり向こうで暮らすので。笑
ただやって後悔はしないんじゃないかな、やらないよりやったほうがいいんじゃないかなという想いがありました。
あとは周囲の人の後押しが大きかったと思います。応援してくれると言ってくれた人もいて、大きな後押しになりました。
でも正直、不安しかないです。
ーこの決断をして、今、どんな気持ちですか?
今は、めちゃくちゃ楽しみです。会社を辞める前はどうなるかなと思っていたけど、やめてから書籍を読んだり、勉強したり自発的な行動ができています。
そういう意味では楽しみな気持ちが大きいです。
過去
ーもともとやめる前はどんな働き方?
9時に出社して、店舗で接客して17時半が定時です。帰宅は19時くらいという生活です。
ー当時から、働きながら別のことをしたいという気持ちもあったのか?
当時から、移住の説明会や気になるところには実際に現地まで行くようにしていました。空いてる時間で本を読んだりもしてました。移住のための準備や調査もしていました。
説明会も月に1回位は行っていたと思います。
ー現地まで足を運ぼうと思ったのはどんな気持ちから?
田舎に暮らすことを考えると、仕事があるのか?という不安が正直ありました。なのでいろんな人に聞くことが大事かなと。
実際に、日本の産業や取り組みが理解できて大きかったですし、向こうでは若いってだけで引く手あまたで、ものすごく歓迎されました。
これまでで感じたことのない受け入れ体制で、24歳と言えば、もう引っ張りだこです。笑
ーいろんな産業が会った中で酪農を選んだのはなぜ?
初めから「酪農」だけに興味があったわけではないです。「いちご農家」や「ほうれん草農家」など、いろんな話を聞いてきたなかで、それらはあまりピンと来なかったんです。
でも彼女が動物好きで、過去に行った「酪農体験が良かった」って言っていたんです。あとは僕が筋トレをしていることもあって、プロテインってホエイ(乳清)からできているから酪農良いなあって、そんな繋がりにも気がついて興味が出ました。
ーとにかく動いて得てきた印象
酪農体験とかに行き、吸収してきました。動いてみないとわからないんです。一歩踏み出してみないとわからない。
とにかく「一歩踏み出してみる」ということは、最近自分の中で常に意識していることです。
ー1歩踏み出せたのはなんで?
大学の時に海外旅行に行ったのですが、周りにいる海外の人たちにも、(自分から)話しかけないと自分に気づいてくれないということに気づいたんです。逆に、話しかければ楽しい話が聞けたり、いろんな体験ができたりする。
今回の決断もそうですが、動いてみたら、歯車が回り出したんです。
自分の意思で進んでいったというよりも、自然に、勝手に進んでいった印象。今も気づいたらここで動画を撮影しているという感覚なんですよね。(笑)
あとは肯定されたことが大きい。
コーチのMINEさんにも話をして、「それいいじゃん」と言ってくれたことも大きかったですね笑
「やって良いんだ」と思えるようになったので、後押しになりました。
ー反対の声はなかったですか?
やりたいという気持ちのまま進んでしまったので、家族には事後報告になっていましたね。笑
両親は、「若いからやりたいことをやっていいんじゃない」と言ってくれたことも僕にとっては大きかったです。
ーパートナーと話していく中でぶつかったことは?
お互い、やりたいことを見つけるまでに迷いがありました。
移住先も仕事も、あーでもないこーでもないと話し合いを続けていました。
ー北海道は他の地域と何が違った?
土地も広いし、人の器の大きさも感じました。受け入れてくれるような大きさを感じたんです。
もともと移民者が多いので、自治体の受け入れ体制が整っていたことも大きな違いでした。
ー向こうでの住まいの体制は?
2LDKくらいの宿舎で、家賃は1万円前後で、駐車場も完備です笑
ーこっちでは考えられないですね
ほんとにそうですね。
ー給料は?
最初は生活費くらいの給料を頂けます。
生きていく分には困らないくらいの額をいただけますね。
ー生活自体の変化が起こりそう
そうですね。
もともとサラリーマンやっていたときから、仕事とプライベートを分けたくないと思っていました。できれば生活の中に仕事を組み込み、“遊びながら働く”ような感覚で過ごしていきたいと思っていた。
仕事用の自分は作りたくないという思いがありましたね。
ー休日とかの概念がない
そうですね。勤務時間とかの縛りが嫌で。笑
サラリーマン時代も空きの時間でもっとやれることがあると感じていました。やれることをやれば、定時じゃなくてもそこで仕事を終えてもいいと思いますし、反対に、終わらなければ自分の責任でその後も仕事すればいいと思っています。
頑張ればがんばるほど、自分の余暇時間が増える働き方がいいなと感じています。
未来
ー24歳の中での決断。これから描くことは?
まずは自分の牧場を持つことです。あとは土地などを購入することで借金をしますので、それを返すことが自分にとって大きなことの一つです。
あとはこの動画(ブログ)を見てくれて、「今に悩んでいる人」、「これからの未来がある子どもたち」にも【こんな生き方もあるんだよ】ということを示したい気持ちがあります。
サラリーマンじゃないといけないという考えがこっちでは(東京)普通になっているけど、向こう(北海道)の人からすれば酪農をしながら活きていることが普通。それを考えると、ますます「普通」ってなんだろうと思うようになります。
ーそれは実際に現地に行くことで感じた?
行くことは大事でした。実際にそこで生きている人の生の話をきいて、自分の未来が描きやすくなりました。
そして、これまで勤めていた会社でも自分の未来が描けたんです。でもその会社ではたらく先にあまりおもしろい未来が見えなかったのが正直なところです。
でも正直、酪農をやっていく先々ではっきりとした未来はあまり見えていない。
それが楽しみでもあるんですよね。予想できる未来はあまりスリルがなく、魅力的ではないと感じてしまうかな。
ー現状に不満があり、「変わりたい」と思う若者は何をすればいいか?
現状に沿って進んで行くことが自分にとっていいのか悪いのか、それを考え続けることが大事。とにかく考えること。その結果、例えば転職をするのか、しないのか決めればいいと思います。
今は調べれば何でも出てきますしね。
ー最初はやりたいこともわからなかった。何から始めた?
最初は本をたくさん読みました。そして筋トレもしました。
そこで気がついたのが、読書、筋トレは楽しい、仕事つまらない、ということでした。
これには「まずいな」という気持ちになりました。そこから本気で探してみたんです。「本気でやらないと」って。
ー現実では会社員として働いていた。どうやって“自分のため”の時間を作った?
朝の出勤前や昼休みの時間を使っていました。とにかく最初はインプットをしまくりました。
そうすると自分のなかで仮説が出てくるんです。
あとはコーチングを受けることによってアウトプットしたり、日記も毎日必ずつけています。
ーそこまで行動を継続するコツは?
取りあえず3日やることから始めます。そこから1週間、1ヶ月と伸ばしていくんです。
大前提、自分にとって必要なことは続くと思います。とりあえずやってみて、必要なものがわかってくるんですよね。
私も続かなかったことがいくつもあります。英語とかランニングは続かなかった。笑
ー最初はハードルを下げておくイメージ?
そうですね、ハードル上げ過ぎちゃうと毎日継続するのが難しい。
毎日10分だけでもいいから、少しだけ本を読んでみる、みたいな小さなことからでいいと思います。
ー継続して得た力は今に活きている?
特に筋トレが活きています。もともと、筋トレ始めたばかりの頃はベンチプレス60kgしか上がらなかったんです。
それが今では100kgに。これも成功体験で、やればできるという自信がつきました。
これは他の取り組みにも生かされています。何でも、「なんとかなる」という気持ちにもなれるんです。
生きていく中で、こういう小さな成功体験を積み重ねることが重要だと思います。
ー改めて、一歩踏み出せない人に伝えたいこと
前職では高齢者との関わりが多かったんです。仕事の中では、自社の製品の注文を受け、その方に製品を届ける前に亡くなってしまうこともありました。こういうことが目の前で起こり、いつ人生を終えるかわからないということを考えるようになりました。
自分の人生がいま終わるとしたら、これで良かったのか、と思うようになって。
「今日死んでいいんですか?」
という問いかけをして生きることで後悔は減ってくるかなと思います。哲学的かもですが(笑)
いつか終わりが来ることなので、それだけ真剣に考えられたら良いなと思います。
ー「死」への意識は、移住につながっている?
もともと定年退職したら、移住したい、というレベルの想定でした。
でも定年を迎えられるかもわからない、先々生きているかもわからないことを強く感じたので、決められたんです。
「死」を考えた時に、今決断しよう、と思うようになりました。
決断
ー死を考えることが大事?
死を意識して、今やっていることが“普通”ではないと知ることも大事です。
ルールだけ守ったうえで、自分の好きなことをやる、自由にやるということ。
自分の人生は自己責任。誰も守ってくれないですからね。どれだけ大企業になっても守ってくれない時代ですから。
ーこれからどんな人生にするか
生きててよかったな、いい人生だったなと思えるような生き方にしたいです。
ー今度は北海道でインタビューさせてください(笑)
ぜひ!ありがとうございました。
まとめ:やるなら「今」!
いかがでしたでしょうか。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
心のなかでずっとやりたいと思っていた「移住」。それを実現させることを早い段階で描き、勇気を持って行動を続け、そして1年半で“会社員”という肩書きを捨て、移住を決断。
それまでの人生とは全く異なる生き方を選択し、行動し続けてきたからこそ、自分の意思の力によって大きな選択をしました。
・ゆくゆくはやってみたいけど、今ではないかな。
最初は枝松さんもそうでした。でもその「先」がいつ来るのか?ということに疑問を持ち、たった1年半で“想い”を実現させました。
これを読み、まだ1歩を踏み出せていない方、ともに頑張りましょう。
大丈夫です。「普通」を疑い、自らの「欲求」のみに従い、選択してきた男がここに生きています。