表情に出さない強さ

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東京五輪を目指した19歳の卓球アスリート。

何度も何度も海外遠征を繰り返し、戦いの日々に挑んできた。その苦悩は、19歳で経験するには重く、多忙な日常の中にあった。

「早田ひな」

間違いなく今後の日本卓球界を背負う選手だ。

 

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試行錯誤の毎日

(久保玲 撮影)

 

2018年に開幕したTリーグで初代MVPに輝いた。

ダブルスでもワールドツアー・グランドファイナルを2度制覇し、伊藤美誠と組んだ’19年の世界選手権では銀メダルを獲得した。19歳ながら、日本の女子卓球を牽引する柱の選手だ。

「海外遠征の連続は、今思えば辛かったですね。当時は目の前の試合に勝つ事に必死で、辛さを感じる余裕もなかった。五輪の落選が決まった時はもちろん悔しかったです。ただ、昨年の成績を考えたら難しいだろうと、自分自身でも覚悟はしていました。だから、キッパリと切り替えたんです。あの時の気持ちは、メディアの方にも話していませんし、誰かに相談もしていません。ひたすら自分と向き合って、ここから変わるためには何が必要かを考えて、それをノートに書き込んだんです

 

本気で目指していたポジションだったからこそ、この悔しさは彼女にしか味わえないものだろう。

しかしその後1月の全日本選手権で自分自身の「変化」を試みていた。

プレー中の早田は、「無表情」だった。これまで、試合中の喜怒哀楽はわかりやすいくらいに表現していたが、この時はポーカーフェイスだった。

「それは意識しています。以前はどんどん声を出して、それを力強い球を打つ勢いにしていました。一方で、ミスした時には沈んでしまっていた。今は点をとっても、取られても。一定に、フラットに。声を出すのは、勝負どころで。ここぞの場面で声を出せば、相手が怯むこともあるので。それはこの1年で学んだところです」

19歳らしからぬ、取り組み、戦い方だと関心してしまう。

 

貫いた「ポーカーフェイス」

そして選手権の準決勝。対戦相手は、何度もダブルスを組み、いくつもの大会を制してきたパートナーの“伊藤美誠”

シングルスでは、早田は5年間勝利がない。乗り越えなくてはいけない壁- 。

試合終盤、早田は冷静だった。2−2で迎えた痺れる場面、第5ゲームで8−8の同点。ここで早田は冷静に、俯瞰的に試合に望んだ。常人なら、通常のプレーができなくなってもおかしくはないが、伊藤のサーブを見事に「チキータ」でリターンを返した。チキータで返すという理想はなかったものの、このコースにくれば、ということは冷静に想定していた。

「選手に最も必要なのは、試合を自分で考え、組み立てる力だ」

早田が4歳から通った球場には、こんな言葉が記されている。この準決勝、まさにこの言葉を体現した。

 

そして驚くべきはその後、伊藤美誠に勝利した後に早田の表情には笑顔はなかった。反対に引き締まった表情だった。

「選手としても、人間的にも尊敬している美誠に勝てたことで、確かに壁を声たという感覚はありました。だからこそ、絶対に優勝したい。次だ。って思ったんです

その後、決勝では石川佳純と対戦。見事に勝利し、初優勝を果たした。

「今までの優勝とは全然違いました」

この言葉が示すように、早田は大きな、大きな壁を越えた。

 

4年後の姿も見据えている。

4年後には異次元のレベルに到達して、パリ五輪へ突っ走りたい。人間としても、たくさんの人に尊敬されるような、みんなに愛されるような23歳になっていたいです」

4年後には23歳。きっと今よりも強い、日本のエースへと成長しているのではないだろうか。

 

まとめ:自分と向き合う事をしよう!

恐れず変化を試みてみよう!

✅物事は自分で考えて組み立てる癖をつけよう!

 

早田はすぐに表情豊かなプレースタイルから「無表情」スタイルへと変化させた。そしてそれを大舞台でも臆することなく、貫いた。

その結果が壁を乗り越える要因となった。すごいのはその切り替え力にもある。

これまで勝つことのできなかった伊藤美誠に勝利し、少し浮かれてもおかしくはない。しかし早田は少しもそんな様子を見せることなく、「次の戦い」に切り替えた。

一つひとつに一喜一憂しない姿は、試合でも、必ず重要な場面でも、活きてくる。

 

 

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