「諦める」ことは悪なのか。意思、継続力の弱いものが諦めることにつながるのか。
元アスリートである為末さんが、自分のアスリート人生から得た教訓も交えながら描いた1冊。
Contents
読む目的
- 「諦める」について考える
- 「諦める」ことはネガティブ要素ばかりではないのかもしれない
- 「諦める力」とは何か?トップアスリートから学ぶ
内容
・「諦める」の語源は「明らめる」。仏教では、真理や道理を明らかにしてよく見極めるという意味で使われており、むしろポジティブイメージだった。
・何かを「やめる」とは「選ぶ」ことであり、「決める」ことでもある。
・手段を諦めることを「諦める」ことだと思っている。目的を諦めなければ、手段は変えても良いのではないか。(実際に為末は100m選手から400m走選手にすんなりと切り替えた)
・人間には「変えられないこと」が存在する。だからこそ、変えられないままでも戦えるフィールドを見つけ出すことが重要だ。
・「今まで一生懸命やっていたから、続ければいつか成功できる」という考えは自分を客観視することができておらず、割り切れていない。犠牲の対価が「成功」という勘違いを生んでいる可能性がある。そもそも自分は何がしたいのか、という目的地をはっきりさせることで道は無数に見えてくる。
・就職において体育会系の人材に人気があるのは新卒に限り、30以降のアスリートの人気は低い。
・「サンクコスト」…絶対に返ってこない資金のこと。経済学では投資時にこのサンクコストは考慮しない。切り捨てる。しかし日本人はこの切り捨てができない。
・「もう少しで成功するから、諦めずに頑張ろう」
「せっかくここまでやったんだから、諦めずに頑張ろう」
前者は「未来」を見ていて、後者は「過去」を見ている。これは同じ「やめる」という判断の中でも、結果は異なるのではないか。「希望」か「願望」かの違いでもある。
・この状態を認知する方法が、「全力で挑む」ということ。全力を出しておくことで、自分がどのくらいまでなら達成できるのか、手が届かないのか認識することができるのだ。
・「世界一」は1人しかなれないが、そこまでの道のりは1つではない。
・やめてよかったかどうかは、人生の終盤にわかるもの。やめたことが正解かどうかなんて、その瞬間はわからない。正解は、自分が「納得感」を持っていること。つまり、「終わりの時期」を決める。ここまでにできなかったらやめる。この日までにレギュラーになれなかったらやめる。
「この時点でこれができていなければ終わりにする」という基準を繰り返し設定すること。
→注:納期を守るのと一緒で、ズルズル先延ばしにはしない。・何が普通になるかで人生が変わる。日本一を目指す人間と世界一を目指す人間では「普通」の基準が違う。自分が変わるには、その普通レベルの高いところへ行くこと。
・コーチは「夢を追いかけた日々が尊い」とは言ってはいけない。コーチの仕事は「夢を追わせる」ことではなく、「勝たせる」ことだから。
・自信の核は「勝負に勝ったこと」ではなく、負けを受け入れ、そこから「立ち直った」こと。「勝負に負けたくらいで傷つかなくなったこと」
・「負け」に太々しい奴の方が、負けないように工夫している奴より強い。
・「自分はこんなものでしかない」という現実を受け入れなければならない辛さ、反対にこれは「もっと楽に勝てるフィールドがあるのか」という捉え方。
・「中途半端なところでやめるべきではない」という意見に対して、「では、あなたは僕がやめずに続けたとして、どのくらいまでいくと思いますか」という返答が根拠のあるものなのか
・「自分らしさ」は段々と築き上げられていくもの。これはいろんな経験なくして実現しない。
・変化の絶えない世界で頼られるもは自分(軸を持っている)だけ。
・モノを捨てる事は「本当に大事なものはなんなのか?ということを確認する機会。
・ベストな選択はなく、あるのは「ベターな選択」のみがある。他と比較してよりベターなものを選び続けるしかない。その繰り返しによって、自身の中に納得感が生まれるようになる。犬はライオンになれない。それぞれで生きていくしかない。自分を知って、何かを捨てる事は、「前向きに諦める」ということである。
気づき・学び
- 手段は諦めても良くて、諦めてはいけないものは「目的」
- 自分が戦えるフィールドを知っておくことは重要なことなのではないか。すべての人が、望む領域で結果を出せるわけではない。大事なのは、目指すところに到達するまで、どの道を選択してどのように進むかということ。
- 経験のみが自分を築く。動いた結果が自分の財産になる。
ネクストアクション
- 本業での今の営業スタイルをやめてみる。結果を出すための行動に変える。試してみる。
- 12月中に「ITパスポート」の試験に合格する(合格できるくらいの勉強ができなかったらやめる)