指導者としての「在り方」〜名将から学ぶ〜

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指導者としての存在価値や在り方は、どのように変化してきているのでしょうか。

昭和の時代から平成、令和と時を経て、“指導”そのものの在り方、指導者に求められるものが変化しています。

 

✔️本記事の対象
指導者の方
教育現場にいる方
人間関係を良くしたい方
マネジメントに悩んでいる方

 

✔️本記事から得られるもの
マネジメント力
指導者としての姿
勝てる組織づくりの例

今回は、東海大菅生高等学校野球部、野球名門校の指揮をとる若林監督から学びます。
20年近く、東京地区で優勝から遠ざかっていたチームを、10年足らずで“結果を残す組織”へと変貌させました。

その変貌の裏には、どんな関わりがあったのか。

では見ていきましょう。

 

Contents

名将の信念

まずは若林監督の経歴を簡単にまとめて紹介します。

大学は東海大に進学。大学2年生当時の1986年、首都春季リーグにて防御率0.00で最優秀投手獲得。しかしこの後肘を手術し、大学3年生の時は活躍出来なかった。首都大学リーグ通算30試合登板し14勝4敗、防御率1.78。日立製作所を経て、1991年ドラフト4位で中日に指名され入団。

プロ入り後、大学生時代に肘の手術を受けた影響で右肩痛に悩まされ最初の3年間を棒に振る。1995年に中継ぎ投手として17試合に登板したが防御率8点台と打ち込まれ、さらに故障が癒えた時は既に30歳だったことから若手への世代交代が進み出番は無くなっていた。1997年、現役を引退。

引退後は、5年間一般企業で勤務をして、その後教員とアマチュア指導者の道へ。2015年に秋季東京都高等学校野球大会で監督就任後初優勝。2017年夏に清宮幸太郎擁する早稲田実業を決勝で下し17年ぶりに西東京大会優勝。その後の甲子園大会では同校史上最高となるベスト4に導き、秋の愛媛国体にも出場した実績があります。(Wikipedia参照)

 

現在、プロ出身の監督、指導者が増えてきましたが、まだまだその存在は希少です。
一般的に、プロのレベルまで到達する選手は、センスがよく、天性の感覚でプレーしていることも多々あります。

「なんでこれができないんだ」
「こんな簡単なことも説明しないとできないのか」

そう思ってしまう元プロ選手は少なくありません。

 

これは、東大生が中学生に基礎の基礎を教える感覚と似ているかもしれません
(もちろん、全員ではありませんが)

「わからないことがわからない」という状態ですね。

しかし、若林監督は、“指導”とは、選手自身が自ら何かを感じとることに価値を発揮すると感じています。

どんな指導を行なっているのでしょうか。

 

あえて“厳しさ”で接する

(写真:朝日新聞

 

昨秋の東京都大会を制し、今春のセンバツ出場が確実視されている東海大菅生高校。2009年よりチームを率いる若林弘泰監督は、きっぱりとした口調でこう言う。

「僕は選手に好かれたいと思ったことは、一度もありません」

元号が平成から令和になり、スポーツの現場ではますます、時代に合った指導が求められている。いわゆる”昭和的な指導”には厳しい目が向けられている中、若林はぶれることなく、昔ながらの指導を貫く。

たとえばシートノック。エラーする選手がいればすかさず厳しい言葉が飛び交う。

「そういうのが試合に出るんだよ!」

繰り広げられるのは“ケンカノック”さながらの風景だ。今年55歳になるが、ノックをコーチに委ねることもない。若林は「選手はノックが一番嫌だと思いますよ」と笑う。(Number Web 2021/01/21)

 

日本的な学校教育、部活動指導の現場では、“厳しさ”と“ハラスメント”は瀬戸際にあるのが現状です。
ハラスメントを取り違えられると、厳しく接した指導が摘発されることもあります。

指導法がある意味で注目され、指導者にとってはやりづらさもある中、
臆することなく厳しい言葉を投げかける。

 

私たちが注目しなければならないのは、この“厳しい”指導が選手たちにどのように届いているのかという点です。

語るまでもなく、少なくとも東海大菅生の選手たちはこれを「行き過ぎだ!」とか「暴言だ!」とは言いません。

私は、そこには見えない“信頼”があると確信しています。

 

トップ選手が語る“指導者の在り方”

元メジャーリーガーのイチロー選手(現・シアトルマリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)も、引退を決めた今、アマチュアの指導に興味を持っています。

昨年12月、智弁和歌山高校野球部にも指導に出向き、取材を受けていました。

その時に発した言葉が以下です。

「指導者はある程度怖い存在でないと難しい。教育される側の方が強い立場になってしまうと教育できない。そして厳しいだけではいけない。そこに愛情があるから成立する。」

指導者はあくまでも「怖い存在」であるということ。

指導・教育とは一定の距離感があるから成立するものだと説いていますね。

イチローさん 野球人生第2章 高校球児に伝えたかったこと【news23】

余談ですが、選手に対しては、こうも言っています。

「プレッシャーを楽しめたらいい、はありえない。プレッシャーを感じた上で、結果を出すしかない」

この言葉の重み・厳しさを伝えられるのも、プロの世界で、そして世界の第一線で戦い続けてきた選手だからこその発言かもしれません。

 

勝ちにいく指導

選手を褒めることもめったにない。かける言葉も常に厳しい。

「優しい言葉をかけても子どもたちのためにはなりませんからね」

昨夏もそうだった。甲子園大会が中止になり、部員たちの大きな目標が失われたが、慰めは一切しなかった。各都道府県の代替・独自大会では指導者の恩情から、これが最後になる3年生主体で臨む学校が多かったが、若林は実力主義でメンバーを組んだ。

「コロナを、夏の甲子園がなくなったことを、選手も指導者も言い訳にしたらいけないと思ったんです。それに甲子園には紐付けされていなくても、代替大会があるのだから、そこで優勝を目指そうと。公式戦である以上、思い出作りの場ではありません。真剣に勝ちにいくのならと、例年通りに戦いました」

若林にとっての優しさは、選手たちが置かれた状況に同情することではなかった。「特別な夏」に最後まで試合させることであり、優勝させることだった。だが、親の心子知らずで、甲子園が全てだった選手は、なかなかモチベーションが上がらない。4回戦では戦力的には差があるチームに苦戦した。カミナリを落としたのはその試合後だ。

「お前ら、やる気がないなら、さっさとやめちまえ。悔しかったら、優勝してみろ」

これで目が覚めたか、東海大菅生高ナインは監督への反発心も力に変える。西東京大会の頂点に立つと、東東京大会で優勝した帝京高校との「東西決戦」も制し、東京ナンバーワンの称号を得た(Number Web 2021/01/21)

 

結果と人気が物語っています。
若林監督の指導は、確かに選手に届き、選手はそれに応える関係性が築かれています。

東海大菅生高は毎年、2学年合わせると部員数が100人前後。若林監督の指導が厳しいとわかった上で、「褒めて伸ばす時代」にこれだけの多くの選手が集まること、ものすごいことです。

 

選手自身の言葉からも監督への信頼がわかります。

栄主将は「監督が厳しいのは僕らのことを真剣に考えてくれているから」と話しています。

 

こんな関係性が理想ですよね!

 

選手たちは、大人が想像しているよりも、遥かに自らの成長ついて考えています。

ハラスメントの問題が横行するこの世の中、選手は“愛のある厳しさ”を素直に受け取る強さを持っているのです。こんな時代でも、大事なことを見落とし、子どもに気を遣いすぎる、真剣に叱れない、そんな指導者は必要とされなくなってしまうかもしれません。

 

まとめ:愛情のある指導を!

✅選手は厳しくても“愛”のある指導を求めている
✅真剣で覚悟のある指導は、必ず子どもたちにも伝わる

 

当たり前ですが、指導を受ける側にも“ニーズ”があります。

ビジネス的な言い方をすると、その指導に“ベネフィット”を感じることができれば、選手はいい指導と感じます。
人道的、道徳的に外れた指導でない限り、多少の厳しさがある指導は不可欠なのかもしれません。

 

「僕らのことを真剣に考えてくれているから」

こんな言葉をいただける指導者が理想像だな、と感じています。^ ^

 

 

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